昭和47年02月01日 朝の御理解



 御理解 第29節
 「桜の花の信心より梅の花の信心をせよ、桜の花は、早よう散る梅の花は苦労しておるから永ごう散らぬ。

 桜の花そ信心より、梅の花の信心をせよ。合楽の本質的なものというですかね、金光様の後信心の中にも、やはりそれぞれ、教祖の信心を受けられん方によって、そういった様々なタイプというものがありますね。やっぱり櫻の花的な人、梅の花的な人、それから此処にはありますけれども、柳の様な感じの人と、竹の様な感じの人、松の様な感じの人とそれぞれなのです。
 此処で、私の信心を受けられても、やはり様々な類形がある様に、私は大体、合楽に信心は何とはなしに、ぱぁとした櫻の花の信心的なものが、濃厚だと実は思って居ったのです。今まで。ところが良く考えてみると、そうじゃないない様にも思うしね。今日私、ご神前に出らせて頂いたら、大石蔵之助の所謂忠臣蔵ですよ。大石蔵之助の一力茶屋の場面を頂くのですよね。
 どういう事だろうかと私は思いよったら、討ち入りの時に使ったといわれる、山鹿流の陣太鼓、大石蔵之助という人は、山鹿流を体得した人なんですね。陣太鼓なのです。その陣太鼓を頂くのです。それから私今日29節と頂いて、それというてどの様なつながりあるだろうかと思うね。思わせて頂くのですけれども、私は如何にもね、合楽の信心は、櫻の花的に見えて、実は梅の花の信心だという事です。所謂、遠くに打って近くに聞こえるという様なものです。
 如何にもね、合楽の場合には実に華やかです。私どもあっちこっち教会を回りました。大きな教会は、ここらへんの久留米もあれば甘木もあります。けれどもね御大祭なんかに行って一番感じることは、まあ、合楽の華やかな事と思うですね。ですから私の信心は、櫻の花様に見えてるけどもしかし、本質的なところはです、櫻の花かの様な風に見えれるけれども、実は梅の花の信心だという、私は山鹿流の陣太鼓とは、そうゆうような風に感じたのです。如何にも今までその様に聞いて貰った。
 私は大体華やかな性格でぱっぁとした事が好きでの様に云って来ただからおかげも華やかなおかげが頂けておるのだと、そこで欠けておるのは、いうならば梅の花の信心が、欠けておるのであるから、梅の花のといえば辛抱強いというかね、何処にもありますように、梅の花は苦労しておるから、永ごう人とおしゃる。そうゆう苦労のない信心の様にいうて参りました。まあそれが欠けとる、だからかけておるそれをひとつ頂かなければとまあこれは私のの理想であり、合楽の信心の傾向なのです。
 けれどもそうゆうけれどもそうゆうおかげを頂かなければならんというのが、梅の香りを櫻にもたせしだれ柳に咲かせたいといった様なそうゆうすべてをそうゆうまあ空腹というかね、そうゆうことは理想であってそげなことは出来ん。と云わずに本当のおかげが受けられる。そうゆうおかげを目指しての信心でなからなければならんとこれは私が、持論なのですよね。梅の花の信心、梅の花の信心というて、いう事はばっかりいうておるとそうか。私は、やはりお互いが願っておるその願いは。
 櫻の花のさくようなぱぁとしたおかげを頂きたいというのが、人間の皆持っている願いではなかろうか。本当は、それはもうおかげはない中にも、信心の有り難いものを頂いて、おかげはどうでも良いという者はなかろうと思うです。やっぱり大きなおかげをい頂きたいうのが華やかなおかげを頂きたいというのです。誰でも持っている願いである。だからそれはね、花が咲いた、けれども散ったという事がでは、後が淋しい事になる。そこでその内容としてです。
 信心辛抱という所謂梅の花の信心が、必要だとその信心辛抱、さあここが辛抱ぞというところは、辛抱しぬかせてもらうということ。小倉の桂先生という方は、大変な厳しい方であられたらしい。それはもう信者も対しても奥様に対してもいうならばたいへんなワンマンですですね。もうある意味では。強引ないうか、桂松平のなことに背くかと、いう様なご自身が確かものを頂いておられますからですから言葉使いでも御伝記なんか残っておるのを見ますと ぞろくそうな言葉を使ってありますね。
 お前たちがとか、わしがとか、というような言葉を使かっとられる。これは自分の信心によほど自身があらねば言える事ではがないですね。だからああゆう御ヒレイも頂かれたわけですけれども、そうゆう意味では、奥様と大変なやはり難しいご主人におつきになって苦労なさったらしいです。何回も其のには帰っておられますです。ご本部にかおか御本部の山一つ向こうのサシという漁村、小さい浜辺にある村でございます。今、サシという海水浴場が出来ているあそこのところです。
 ですから、二代金光様、四神金光様の御神命で桂松平先生の奥様になられ九州に下られた、それこそ桂松平先生と一心同体という覚悟で見えたでしょうけれどもです、辛抱が出来なられじゃった、或る時、に帰られて四神様ににその苦労ををお届けなさった。奥様は、お名前を桂みつ云われる桂みつ先生もです、おみっさん辛いかと仰せられた。もう金光様辛いの段じゃございません。もう他の修行ならどんな修行でも致しますけれどもこればっかしは辛抱出来ませんとおっしゃた。
 そしたら四神様がね、さあその辛抱の出来ん所を辛抱で行くのぞと表から出されたり、裏から入れ、裏から出されたら表から入れと仰った。それこそ泣く泣く帰られて、二代の小倉を建てられたお方です。それでももう是だけはという事があられたという事です。もう他のことならどんな辛抱致しますけれども是だけは辛抱出来ません、さあ、その辛抱出来んところ辛抱こそが本当の辛抱じゃと教えられたので御座いましょうね。
 そういう風に頂いてまいりますと、私自身そこをして来ておるという事に、気が付いたのです。今日は、もう本当に、これだけは辛抱が出来んと、いうところそれは、例を上げれば、いろいろございました。こも肉体の上にもです、経済問題においてもです。本当に泣く泣く、辛抱しいしいにと、いうところを、私は通らせて頂いた。はぁ合楽の信心は、今如何にも桜の花の信心に、見えますけれども、実を云うたら私は、梅の花の信心のほうが強いのだなと、いう事を感じました。
 遠くに在って近くも聞こえ、近くに在って遠くに聞こえる様にです。成る程心は何とはなしにというより遠方からね、まあ云うなら佐賀県いうなら熊本県、福岡はいうに及ばず久留米、福岡あたり、小倉あたりから大 という様にここの御大祭の時に自動車のナンバーを見るとそれこそ遠方の車が沢山来ておる事に近くに打っておるけれども実は遠くに聞こえておるという感じを致しますね。
 その遠くに聞こえておるのが遠くのものが近くになった時が合楽の全てというか合楽の力と頂きおかげを受ける時であろうとおもうですね。今遠くで打っているのが近くで聞こえるようになった時足元で聞こえるようになった時、ですから私のことを評してその皆が言われるのに、あれは誰でしたかね。久留米の佐田さんがお夢の中に頂かれたように、合楽の先生はひょうたんなまずと頂かれた事がある。ひょうたんなまずは、つかみどころがないという事である。ぬらりくらりしとるわけです。
 これは本当に自分がそう思うのです。親教会に対してでも御本部に対してでもこの頃から例えばラジオ放送の依頼を受けた。まあ受けんかの様にあったのが愈々になったら断った、と云う様な調子なのです。まあそういう事ではないのですけれども、十何人の人が学院に参りましたけれどもまだ一回も学院に行かんのですからね。校長さんも はるければ、先生方に御挨拶に行った事もないです。それは年に何回かしゃっちゆかねばならない事があるけれども、私は、行かないです。
 それで悪口を言う人もあれば素晴らしい人と云う人もある。とにかく礼儀もわきまえないここ3年年賀状が来とりますけど1本も返事を出さんのです。どんな偉い先生から来とってもいつも参りましたら15枚か20枚位は、久保山さんに頼んで、書いて貰いよったけれども、丁度今年は、そのあれが無かったものですから、とうとう一枚も出さんづくである。実は出さないというのが私の本音なのです。
 こんなものは、何にもならんと思うておるからです。それを手前の所で云うと、礼儀を知らないということになりましょうね。けれども心に無い事を私は例え十円でも二十円でも勿体無いと思うから出さない。是は出さないからというてそのまま放任しとるかと私の心の中には、神様に一々お届けしてあって、そのほうが例えば十円でも二十円でもここへ向けて出されたという祈りという事は。
 もう強くお返しておるつもりですから、そこのところは、分からんのです。人には成る程ひょうたんなまずの様な男だなと自分でも思います。いうなら丁度大石蔵之助が、一力茶屋でまだ遊湯中といった感じが致します。味方のものですらまだ蔵之助の性根がわからん。ここに参っておる御信者の皆さんだって親先生ばっかりはどこが本なごっちゃいしらごっちゃいわからん。
 四、五日前、私は、ここからお大師様が足を出してござるというて福岡行きを止めた、そして、私はケロッとして昨日福岡行きしとりますからね。おかしいでしょう。云う事とする事違う。成る程その時には、いかなかったが成る程その日は私が居らねばどうにもならない事がいくらもあった。参拝者も私がおらねば、どうにもならない事がいくらもあった。昨日、永瀬さんところの結婚式がありました。結婚式が十二時にありました。丁度